
クララ・シューマンはあの大作曲家シューマンの妻です。
クララ・シューマンの人生は波乱万丈です。
そして、家庭と仕事の両立、夫の病気など現代女性の悩みと通ずるところがあります。
クララ・シューマンの人生をご紹介します。
音楽教師の父、ピアニストの母
クララ・シューマンは、1819年9月13日、ドイツのライプチヒで誕生。
クララという名前は「明るい、清らかな」という意味です。
父は優れた音楽教師のフリードリヒ・ビーク、母はピアニストのマリアンネ。
母マリアンネはクララが幼い頃に家を出て行ってしまいます。
父はクララを有名なピアニストにするため、4歳の誕生日を迎えたその日から、毎日厳しい練習をさせました。
クララが8歳の時、未来の夫となるロベルトシューマンに初めて出会います。この時ロベルトは18才。
ロベルトはクララの父ビークに音楽を教わるため、ビーク家に出入りするようになったのです。クララにとってロベルトは、‘面白いお話をしてくれる優しいお兄さん’でした。
ロベルトと出会った同じ年、父が再婚し、義母クレメンティネがやってきます。義母クレメンティネは優しい人でした。
天才少女ピアニスト
クララは母マリアンネからピアニストとしての才能を受け継いでいたこともあり、
みるみる上達。わずか9歳で初めての演奏会を開きました。
初めての演奏会は大成功!
その後、天才少女ピアニストとしてヨーロッパ中を演奏旅行に回っています。
国王や文学者ゲーテの前でも演奏したんだとか。
ロベルトとの愛
クララにとってお兄さんのような存在のロベルトでしたが、いつしか愛がめばえます。
そしてクララが18才の時、結婚の約束をします。
2人の結婚に、父ビークはいい顔をしません。この頃のロベルトは、まだ世に認められておらず稼ぎが少なかったのです。何としてでも娘を一流のピアニストにしたいという強い思いがあった父ビークは、クララを遠くへ留学させ二人を引き離そうとします。
それでもロベルトとクララは愛を貫きます。
父ビークはあまりに二人の邪魔をするので、ついに裁判になってしまいました。
二人は結婚までに随分と苦しい思いをします。
クララ21歳の時、裁判に勝ち、ようやくロベルトと結婚します。
しあわせな結婚生活
クララとロベルトは8人の子供に恵まれました。
出産後、クララは音楽活動が思うようにできなくなってしまいます。
でも、愛するロベルトとの生活はクララにとって幸せなものでした。
夫婦で歌曲集を作ったことも。
メンデルスゾーンや、ブラームスとの交流もありました。
夫ロベルトの病気
しかし夫ロベルトが精神の病を患ってしまいます。
病気はだんだん悪化し、クララが35才のころに入院。
ロベルトの収入だけでは生活が苦しいので、クララも演奏活動をしなければなりません。
家事や育児に加え、夫の世話。
クララはその合間を縫って、ピアノの練習をしていたのです。
それはそれは、大変な毎日です。
ブラームスはそんなクララを何かと助けてくれました。
治療もむなしく、クララが36歳の時、ロベルトが亡くなります。
未亡人ピアニスト
ロベルトの死後、クララは精力的に演奏活動をします。
もちろん、子供たちを養っていくためですが、夫ロベルトが残した音楽を多くの人に聴いてもらいたいという強い思いがありました。
「ロベルトの素晴らしい音楽を世界中に届けたい・・・!」
そんな願いを胸に演奏します。
作曲家ロベルト・シューマンがこれほど有名になったのは、妻クララの活動があってこそなのです。
指導者としてのクララ
59歳になったクララは、フランクフルト音楽院でピアノを教え始めます。
誠実に生徒と向き合うクララは、素晴らしい指導者でした。
クララの弟子たちは、音楽家として世界中で活躍しました。
クララは指導者として教えながら演奏活動も続けています。
高齢になってからはリウマチに悩まされていますが、調子が良いときには演奏していていました。
1896年5月20日、クララ76才、脳出血で倒れ、惜しまれつつこの世を去ります。